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暗いところに、降りてゆく。また光ある場所に、戻ってくるために。

2010.10.11 Mon
大分、街の木々も色づいてきました。

赤や、黄色で、色鮮やかです。


昨日からは、家に暖房もつき始めました。


ちょうどBoulderに来た頃に、

暖房がついていましたから、

いくつかの季節が通り過ぎたのだなと

実感しています。




半年が経ちました。


何でも結構すらすらできる方だったので、

半年ほど海外で生活をしたら、

英語はそこそこいけるかなと思っていたのですが、

なかなかそううまくはいきません。


自分の淡く思い描いていた、

海外での英語を流暢に話すイケてる自分は、

まだまだ僕の前には姿を現してくれません。


今でも、店で何かを注文するときは緊張しますし、

まだまだ言いたいことの半分くらいも言えていないかなと

僕自身感じています。


聞き取る耳は、英語字幕でようやく

意味を取れるようになってきたほどです。

とっさに話しかけられても、なかなか聞き取れません。


今は専ら、文字の世界に浸っています。


会話がしんどいので、本や、インターネットの文字を

一生懸命読んで、仲良くなっていっているところです。


まだまだ簡単な文章でも、気合を入れないと読めません。


せめて日本に帰る前には、好きな活字くらいは、

英語のものにもそれなりに接することができれば

いいかなと思っています。


まあまあ「なんとか」はなってはいますが、

本当に文字通り「なんとか」にしかなっていません。


違う言語に触れることは難しいことだなと実感しています。


でも、体力があれば、覚えるのは早いかなとは思います。


基礎的なことを継続して勉強する体力、

自分で慣れないながらも話そうとする体力、

またはそういう環境に自分の身を置く体力。


でも、もうそんなに体力はないですから、

僕はなんとかぼちぼちという感じです。


ただ僕の中では、この英語というものが、

今本当に向き合うべきものなのでしょう。


簡単に乗り越えられるものだったら、

自分の嫌な部分や、弱い部分なんて見えてきませんが、

「もういいよ」ってくらい見えてきています。笑


本当に苦労している英語ですが、

この向き合えている期間の中で、

自分の英語をある程度まででも

育てられたらいいのですね。


もしそうじゃなくても、

こうやって苦しさに向き合っている過程で、

様々なものを手に入れられているかもしれません。


どちらにしても、僕にとっては、

負荷から負担へ、無茶から無理への

ぎりぎりのところです。


なので、トレーニング効果は最高なはずですよ。笑




そして、ロルフィングにも向き合っています。


ロルフィングは、プラクティショナーとクライアントとが、

はっきりとは分かれていない気がします。(ある段階までは)


「協力して、共に問題に向き合っていく」感じです。


ただクライアントが寝ていればいいというわけではありません。


クライアントが自分と向き合うこと、

それがプラクティショナーが自分と向き合うことにも

つながっていきます。


ただテクニックが素晴らしいだけでは、

「素晴らしいロルファー」にはならないのではと思います。


クライアントはいろいろな問題を抱えてきます。


時にそれは、自分の想像もしていなかったほどの深さ、大きさ、

今まで見えなかった問題も見えてきます。


そして、それを解決するのは、

クライアントしかできないのです。


プラクティショナーは、「そばにいるだけ」なのです。


代わりにやってしまったり、見えないように目を覆ったり、

安易に手を差し伸べたりしてしまっては、

本当に深いところでは何も変わりません。


でも、もちろん全てがそういう状況だけではないので、

クライアントにとっては「逃げるべき」状況もあるかもしれません。


その時には、「今は引き返そうか」と決断するときもあるかもしれませんが、

基本的には、一度向き合おうとクライアントが決めたのなら、

こちらも覚悟を決めて「そばにいる」ことに徹しなければいけません。


クライアントは、泣き叫ぶかもしれない、

痛みがあるかもしれない、

こころとからだがバラバラになってしまいそうに

なるかもしれない。


それでも、プラクティショナーが逃げてはいけない。


もちろん、穏やかな流れの中で、

その人のゆるしが訪れ、

変化がやってくるクライアントもいるでしょう。


「痛みも、苦しみもなかった。

 けど、全く今までと違う。」


それはそれで、素晴らしいロルフィング経験です。


僕もできればそちらを望みます。笑

穏やかに生きたいですから。


でも中には、大きな問題を持っている方もいます。


そんなクライアントのそばにもいれるような

懐の深いプラクティショナーになれたらいいかなと思っています。


そしてそのためには、

自分自身も自分の問題にとことん向き合わないと。


正直、暗すぎて、重すぎて、

自分がばらばらになってしまいそうな時があります。


まるでブラックホールのようです。


けど、そんな中に問題はあるのだとも思っています。


「自分の問題」


これはその人自身にしか見えません。


そして、その人によって大きさを自由に変えます。


「私に、解決すべき問題など存在しない」


「私に、光が吸収されるほどの重い闇などあるはずもない」


そう思っている人には、問題は小さく見え、

もしくは存在しません。


それはそれでいいと思います。


大きく見る人は、まるで他の人から見たら、

亡霊とでも闘っているかのように見えるかもしれません。


問題は、「問題が存在すること」ではなくて、

「適切な問題か」ということです。


小さすぎても、人は学びの機会を失いますし、

大きすぎても、問題に食われてしまいます。


「クライアントの問題は適切なのか?」


それは、自分自身様々な問題と向き合ってこなければ、

わからないと思うのです。


もしもプラクティショナーが様々な振れ幅の経験していなければ、

せっかくのクライアントさんの学びの機会を損なうかもしれないし、

逆に、大きな問題に、浅はかな軽装備で挑んで共倒れってことも

ありえない話ではないと思います。


繰り返しますが、

問題はその人に応じて自由に形を変えます。


僕は、僕の問題に取り組みます。


人の問題は、解決できないですから。


でも、そばにいることはできます。


”Not doing, but being.”


でも最近、

自分の問題に若干押され気味で、

食われちゃいそうですけどね。笑


長くなりましたが、

最後に、この人の目線で、この人の問題を

僕が見たとしたら、簡単に食われちゃうだろうなって

人の文章を引用して終わります。




「僕は決して選ばれた人間でもないし、

 また特別な天才でもありません。

 ごらんのように普通の人間です。


 ただある種のドアを開けることができ、

 その中に入って、暗闇の中に身を置いて、

 また帰ってこられるという特殊な技術が

 たまたま具わっていたということだと思います。


 そしてもちろんその技術を、歳月をかけて

 大事に磨いてきたのです。」

(村上春樹、『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』

 2010年、文藝春秋、89頁)




僕も、できれば卵側に立っている人間でありたいです。


そしたら僕も、

にこやかに笑える、愉快な人間になれると思うのです。




Yuta

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