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教育に対しての思いとして

2007.09.11 Tue
「学校の先生やればいいねが」



昔、母に言われたことがある。


いや、今もたまに言われる。



確かに、勉強は嫌いじゃなかった。


押し付けられるのは好きじゃなかった。

理解を手助けしてくれるのは大歓迎だけど。


よく、友達に教えたりもしていた。





授業は先生との真剣勝負。


「押し付けられてたまるか!

 自分で考えてわかってやる!!」


納得いかないところは、納得いくまで考えに考えた。

悔しいから先生には質問に行った事が数えるほどもない。


自分でわからなければ意味がない。



そんな授業を繰り返しているうちに…


先生の表情、所作、授業の進め方、黒板の使い方

などなど、気づいたらそういうところをチェックしていた。


「俺なら○○じゃなくて、□□って教えるな」


なんて生意気にも、いろんな先生に対して

そんなことを思いながら授業を受けていた。





大学に入ると、ますます「教育」というものに

近づいていた。


大学のサークルで、先輩や、同い年、そして後輩に

授業をする機会をいただけた。(多少強引でしたが…笑)


「こんな時間なら、いくらあってもいい」


本当に大学の時は、毎日授業をやってもいいと思っていた。



人前で、話させていただく。


そう簡単にできることではない。

誰でもできるわけではない。





と、ここまで聞くと、多くの方々が

僕に対する一つのツッコミに向かっていそうだ。



「だったら、先生やればいいじゃん!」



ごもっともである。

確かにそうである。


しかし、違うのである。



一応という言い方も変だが、僕は教員免許を持っている。

教育実習にももちろん行かせていただいた。


でもでも、学校の先生になることは違うと感じたのだった。

そういう形での関わり方ではないと思った。



ではどんな形だろう?


正直、まだわかってはいない。



けど、ふと考えると、


「これ授業でやってみたいな~」


「そういう流れでやれば、わかりやすいかもな~」


「人が成長するってそういうことか~」


なんてことを、無意識に思っていたりする。


何かしら教育のことを考えていたりする。





ここまで書いてきて、僕の教育に対しての思いは、

一つの思いの元に成り立っているのかもしれないと気づいた。



「みんな俺のこと追い越して、

 どんどん上に登っていってくれればいい。

 そして、みんなが笑ってくれればいい。」



僕は自分に才能はないと思っている。


すごい人は溢れるほどいる。

しかし、埋もれている人もまた、溢れるほどいる。


僕だけ上に行ってもしょうがない。

僕が登れるとこなんてたかが知れてる。


だったらちょっとコツとか教えるから、

才能ある人にはどんどん上に登っていってほしい。


そして、天辺まで登ったなら、気が済むまで登ったなら、

帰り際にでも、また声をかけてほしい。


頂上での思い出話なんかを楽しそうに話してくれたら、

なおうれしいものである。





これからいくら生きられるかわからない。


しかし、必ず「教育」というものとは、

何らかの形で関わっていくのだと思う。


いつになることやら…

どこですることやら…

どんな感じになることやら…





けど、願わくば、その時までには、

もうちょっとましな人間になっていたいものだ。





今、仕事をいただけていることに感謝をしたい。



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