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言葉について

2008.02.01 Fri
人間は言葉を使う。


他の動物は持っていない。


なんとなくその場の空気で伝わる。


空を飛ぶ鳥、海の中の魚。


言葉を使って、


群れ全体が急に方向変えるなんて無理だろう。


間に合わない。


けど、彼らはぶつからない。


人間も昔は持っていなかったんだろう。


なぜ持つようになったのか?


コミュニケーションは取れていたはず。


言葉なんてなくても。


なんでだろう。


大学に入ってから言葉を意識するようになった。


様々な人に出会ったからだ。


方言にも出会った。


方言はモードを変える。


秋田弁の自分と、標準語の自分はモードは違う。


秋田の人が、関西弁を使い始めたら、


ものすごい時間が経ったとき、


自殺死亡率ナンバー1の県ではなくなるのかもしれない。


言葉は人を縛る時もある。


言葉は身体を使う。


言葉が変われば身体も変わる。


そんなこと利用して、


いろんな言葉を蓄えた時期があった。


様々な言葉が身体の中で混ざり合い、


発酵し、深みを増す。


そうやって言葉は育つ。


なるだけこの気持ちをそのままの形で


乗せれるだけの言葉がほしかった。


育てることに必死だった。


そうしていつからか、


「話すのうまいね」


「説明するのうまいね」


なんて言ってもらえるようになった。


言葉は服だと思った。


言葉でモードを変えられる。


もしなりたい自分がいるのなら、


そのモードの言葉を使っていればいい。


そうすればいい意味で自分を縛り、


気づいたらなりたい自分になれる。


そう思った。


でも、気づいてきたこともある。


いいわけ上手にもなった。


どんなことも掬えるだけの言葉をもつと、


どんな自分にもなれるから、


いや、なれた気がするから、


どんな状況でも納得できる。


人から否定されても、


ずっと昔の自分なら、


「悔しいけど何も言えない」


と生の自分と向き合えたけど、


今の自分なら、


「全ては必然だから」


なんて言えるようになった。


言葉で縛られている自分を、


かっこいい服着ている自分を、


生の自分だと勘違いしていた。


かっこいいのはその服、


つまりは言葉なのであって、


生の、裸の自分は何も変わっちゃいない。


言葉が育つことは怖さでもある。


口が達者なやつは、自分と向き合うことが難しい。


頭がいいやつほど、自分を本当の意味で変えるのは難しい。


今の子達は、言葉が少ない。


だからある意味で、人間のとても生なところと


向き合っているのかもしれない。


悩むのも当然だ。


逆に、お受験なんかでよく勉強しているやつは、


勘違いしているやつが多い気がする。


今、患者さんとよく話す。


しかし、とても忙しいのだ。


そんなじっくり話すことができない。


余裕がない。


けど、言葉で全てを納得させようとするから、


言葉数も多くなり、


伝わらない。


それが続くと、言葉が出なくなった。


説明もできなくなった。


かむし、つまるし、何言ってるかわかんないし、


大学の時の僕を知っている人からしたら、


らしくない。


言葉を厳密に理解しようとしたら、


しゃべれなくなった。


今は、動物がうらやましい。


そのまま伝わればいいな、と。


言葉なんて捨ててしまいたい、と。


けど、まだまだ言葉は深いと感じている。


もう少ししたら、合点がいく言葉遣いができると思う。


もう少しで見えそうだ。


そうしたら、このブログも


もう少しましなものになるだろう。


もう少し苦しもう。






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Category:大友 勇太 | Comment(5) | Trackback(0) | top↑ |
<<つづいて、話すこと | HOME | オシャベリテーション>>

確かに。
俺も関西弁に憧れた時期があった。
だって、やんわり自分の言いたいことを伝えられるから。
けど、俺が使ったら何だこいつって事になるから、なんとか自分の言葉を生み出そうとしてるところ。

会話の中で、自分らしさを表現できたらいいね。
それは仕事にしてもそうで、あいつらしいなって相手が思ったらどんな俺でもそれは俺なわけで。
そう考えるとつくづく自分らしさは自分が決める物じゃないなと感じるんだ。

最近の若者言葉は微妙なニュアンスが多すぎる。
みたいな、ってかんじ、~じゃない?。
これじゃあ相手はどうとっていいか分からない。
俺ってどんな印象って聞いても、多分~みたいな感じってことになりかねない。
相手に伝わる自分らしさもあいまいになってしまう。
これは話する時にかなり話しにくいし、話が発展しにくいと思った。

自分のポジションを見せていかないと相手は共感も批判も出来ないから、そうなるとその人になんも言えなくなるんじゃない。
批判するのりしろを残しておく事も重要なんだと思った。

最近は言葉で遊んでる。
ある程度の盛り上がりが起こる会話ってあるじゃん。
子供にはうんことか、若者には恋愛の話とか、おじいちゃんには健康の話とか。
けど最近は相手が求めてるものを話すのはやめた。
それは俺が話したいんじゃなくて、俺の考えじゃなくて喋らされてるだけだから。
医療者がそんなことやるのはかなり邪魔くさいやつだと思うけど、聞きたくない事に興味を持たせるように話が出来たらすごいと思うよ。

言葉はいろんな形があるし、いろんな色がある。
色んな質感をだせるし、色んな事を想像できる。
ずばり言いあてる事も大事だけど、ぼんやりぼかす事を面白いよね。



- | Tom | URL | 2008.02.01(Fri) 06:05:38 | [EDIT] | top↑ |

「口が達者なやつは、自分と向き合うことが難しい。」
よくわかる。いつの頃からか気がつくとこういう人になって、
納得させようとしている自分がいる。

標準語に慣れて、こっちの言葉に慣れたけれど、やっぱ自分の言いたい事を伝えれる言葉にはなってないなぁ。じゃないのかもなぁって。
そんなことを考える時間が増えた気がする。
CUV08Ssc | ぐにお | URL | 2008.02.04(Mon) 09:58:16 | [EDIT] | top↑ |

Tomへ

言葉、今さらながらいろいろ考えるよ。

そうやってまた育っていくんだろう。俺の気持ちの切れ端を伝えてくれる船としてね。

会話をすごく厳密に考える。そうすると話せなくなる。

最近思うのが、話を聞いてあげるとか、目を見て話すとか、そういうことじゃなくて、大事なことは…

「その瞬間、瞬間に何を俺が思っているのか?」

何を話すのではなく、なんとなく二人が笑える方向に流れていけばいいなってきれい想像できたときは、何を話したなんか覚えてなくて、ただ楽しかった感覚だけが残ってる。

そんなことして遊んでます。

- | 大友 勇太 | URL | 2008.02.05(Tue) 09:16:11 | [EDIT] | top↑ |

勇太もめんどくさい事好きだねぇ。

芸事だよな、会話って。
学校みたいな勉強も必要だけどさ。
こっちの勉強はかなり面白くない?
俺、最近お笑いの喋り方見てて、それを実践してみると同じ事を言っても芸人の言い回しを使うとなぜかウケる。
もちろんそんなの関係ねぇとか流行語じゃなくてね。

なにが違うのかって思ったけど、俺はなぜか許してしまう可愛らしさがあるって思ったんだよね。
その言葉に。

今の人って適格な言葉はいえるけど、枠からは出ないというか。
ずばり言い当てちゃう人が多い気がするんだよね。
雰囲気を大事にするのはいいんだけど、枠からはみ出た話をその中にどれだけ混ぜていけるかが会話の楽しさだとおもうんだ。
情報交換してるわけじゃないんだから。

ビジネスマンじゃないけどwin winの関係で話が終われたらいいね。
+αは治療って事で。
- | Tom | URL | 2008.02.06(Wed) 06:05:16 | [EDIT] | top↑ |

Tomへ

言葉が全てだと信じるようには、みんななってきたのかな。それは言葉が全てなんじゃなくて、信じることが大事なんだと思うな。

言葉だけじゃ、逃がしてる部分って結構ある。そこを掬えなきゃね。大事なエッセンスが入ってるかもしれないし。

しかし、言葉も大事なんだな。

今日もそうやって夜が明けます。笑
- | 大友 勇太 | URL | 2008.02.12(Tue) 10:44:18 | [EDIT] | top↑ |

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