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見えるもの信じたいのはもちろんだが

2008.10.19 Sun
目に見えるもの、見えないものがある。


僕は、目に見えないものは、

想いなのかなと思っている。


想いが先にあり、そしてその顕れとしての

人であり、モノなのかなと。


僕はそう思うと、ちょっと安心する。


だってこんな世界なくてよかった。

始まらなければ何もなかった。

けど、始まった。


何らかの想いがあったのだろう。


その流れの中に、僕として生まれ、

そしてこの世界で悩み、

笑い、泣いている。





愛、

何だろう?

何だと思いますか?


定義なんて勝手にそうしようって

一部の人が決めたこと。

みんな、そんだよねとは言っていない。


「愛こそ全て、一番大切なものである」

と言われても、なんだかよくわからない。

捉えにくい。


愛、

何だろう?

何だと思いますか?


じゃあ、風邪引いて体調がどん底な時、

看病してくれたら、

子供が生まれたら、

もらうよりも与えたい人が現れたら…


そんな具体的な行動があり、

それに愛が含まれると言われると、

なんだか輪郭がぼんやりだけど見えてくる。


「それが愛なんだよ」と。

そう言われると、安心する。


そうなると、今度はその行動が愛だと思う。

もっと子供を愛そう。

もっと愛してる人に与えよう。


でも、それは行動が目的になり、

愛とは少しずつずれてくる。


本当は想いがあり、そしてその行動が顕れとして

自然に出てきた。

(想いがありと言ったが、それも恣意的にではなく、

 よくよく考えると想ってたということであるが)


目に見えないものがある。

それはやっぱり捉えにくい。

わかりにくい。


だから、少しでも目に見えた気がすると、

その見えたものがそれだと勘違いする。





トレーニングを使って仕事をしている。


バランスって何だろう?


グラグラするマットの上で片脚で立つことか?

バランスボールの上で立つことか?


バランスとは目に見えないもの。


いいプレー、動作が達成される時に、

よくよく考えてみるとバランスは取れていたのだ。


バランスを意識せず、

何かができた時、

顕れとしていいプレー、動作が目に見えて、

バランスを垣間見せる。


じゃあ、片脚立ちで立つことか?


バランスを取る事は目的ではない。

バランスを取る事を目的にやっていたら、

シュートが入りましたなんてない。





室伏広治さんが、僕とトレーニングしている選手に

こう言ったらしい、


「骨が動く時、筋肉は動いていない

 筋肉が動く時、骨は動いていない」


人は動く。

形があり、動く。

骨があり、それが動いて動きとなる。


それを動かすのが筋肉である。

でも、骨が動けば、筋肉は必要ない。


でも筋肉はあるのだ。

顕れである筋肉。

それを目的にするのには、今の僕には抵抗がある。





目に見えるものは信じやすい。


けど、目に見えないものが先にあり、

それをなんとな垣間見させてくれるのが、

見えるものである。


だから、厳密にそれではない。


確かに目に見えるものを突き詰めていっても、

得られるものはたくさんあるが、

必ずずれもあり、うまくいかないときも出てくる。


目に見えるもののその奥に何が流れているのか。


それを心静かに、丁寧に想像してみるのは

とても大事なことだと思う。





目の前に見えているもの、

どんな想いの顕れだろうか。

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