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僕が僕じゃなくなるとき

2008.11.22 Sat
先日、ヨガをしていたら、

「大友さんが大友さんじゃなくなりましたよ、今。

 心がないみたいでした。」

と、言われた。



アーサナに深く入っていくと、

無音の音が聞こえてくる。



僕が、

フロー状態というか、

超集中状態というか、

瞑想に入ると、

無音の音が聞こえてくる。



そのとき、僕は、僕じゃなくなる。

何者でもない。



『雑念する「からだ」』という、

僕のお気に入りのブログで、

「私を呼ぶ声が、私に私の名前を教えてくれるのだ。

人は一人では何者でもない。」


という文章を見た。



無音の音が聞こえているのだから、

僕を呼んでくれる声など聞こえはしない。



僕は誰なんだろう。



これってどういうことか。



瞑想に入ると、心がなくなる。

心があるから、人間。



考えてしまう。

それでも、考えてしまう。

それが、僕。



僕は、僕である。




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