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この世界の重層たるや。

2009.05.24 Sun
神戸に移り住んでから、そしてメディカルな

環境で働き始めてから、

もうどれくらいの時間が過ぎたのだろう。

サッカーでいうなら、僕にとってここはアウェイだ。

何もかもがアウェイだった。

僕のことを、出会うみんなは何も知らない。

今まで積み上げてきたものも知らない。

そして、僕もみんなことを何一つ知らない。

今まで何も考えずに過ぎていくことが

いちいち、そしていちいち引っかかる。

そして、つっかかる。

つまづいた。

そんで、立つ気力もなくなり、座り込む日もあった。

僕は今の職場がものすごく好きである。

仕事をしていて、心から仲間と感じられる人たちと

巡り合えるなんて、それは奇跡だろう。

患者さんもとてもいい方々ばかりだ。

半人前以下の僕の話を聞いてくれて、信じてくれた。

神戸の街も素晴らしい。

自分が、自転車で通えるほど近くに海があるところに

生活することなんて想像もしなかった。

街は適度でセンスがいい。

ただ歩くだけでも心地がいい。

昨日の講習の帰りに思わず2駅歩いた。

映画の世界に僕は飛び込んでしまったのか。

今でも、ふと信じられないくらいの幸せに気づくことがある。

「こんな素晴らしい街に、僕は生きているんだ。」

でも、そんなことに幸せを感じられる

その基盤は何なのかと考えた時、

「アウェイの辛さ」がすぐに浮かんできた。

中京大学でトレーニングする時、

あえて僕は、相手の言語に合わせずに、

自分の口から出たものをそのまま伝える。

それでも、彼らには伝わってしまう。

そしてすぐに体現してくれる。

僕が興味のあることを勉強して、

少しレベルが上がったとして、

それをすぐにそのまま表現できる。

それほど楽なことはない。

でも、でも、病院にはいろいろな人が訪れる。

話をしようとしても、まず目を見てくれない。

耳が聞こえにくくなってきた人もいる。

外国の人も来る。

暇があればPSPやってる小学生も、

会話しながら平気でiPod、ケータイを使用する中高生もいる。

そこで、複雑系や、全体性のことを話しても

誰が聞いてくれるだろうか?

悪いのは誰だ?

「座ってください」と言っても、座れない人。

「ここを伸ばしましょうか」と言っても、肩が挙がらない人。

松葉杖の人、手術直後の人、アイシングしたくても傷がある人。

そこが原因だと、ある程度推測できて、

それに対して、してもらいたいことが頭にあっても、

それができない人がいる。

誰が悪いのか?

変えれるのは自分と未来。

変わらないのは他人と過去。

自分のやりたいことなど、意味がない。

やりたくてもできないんだもの。

辛い、しんどい、逃げたい…

言葉通じる世界に帰りたい。

そう思っている。

でも、それでも諦めたくないし、こっちの言葉で

勝手に納得させるなんて、情報の格差を使った

卑怯な手は使いたくない。

ウソをつきたくない。

なんとかしたい。

そして、何もできない。

でも、そんなときに、ふと変化が見られる時がある。

本当に少しの変化である。

しかし、大きな大きな変化である。

その時に思い知る、

「世界はこんなにも重層的だったのか」、と。

僕らは単位ごとに同じようなことを繰り返してる。

そしてそのどれもが、同じような理屈で動いている。

サイズは違えど。

身体の中で起きている事と、

日本の社会の中で起きている事と、

地球の中で起きている事とは

相似の関係にある。

みんな本質的には同じ。

その単位が、目盛がもっと細かくなる。

ミクロの世界にまで細かくなる。

各駅停車の、その一駅間の間に、

どれだけの人間の物語があるだろうか?

中京でのトレーニングはマクロに拡がり続ける。

病院での仕事はミクロへと濃くなっていく。

ここに来るまで、そんなこと知らなかった。

こんなにも世界は豊かで、

それは何気ない日常にこそ溢れている。

世界中の情報がすぐに手に入る。

イタリアのおっさんがかっこいい。

そりゃかっこいい。

けど、そんなこと知らない、

今日も汗水流して工事現場で働いてる

日本のおっさんもかっこいいだろう。

楽しみ、喜び、幸せは、

自分の単位の中をよく観察したらいい。

そうすりゃ意外に近くにある。

自分の範囲外の、自分ではどうにも出来ない問題で

頭を悩ますのなんていかがなものか。

日々の仕事は辛く、しんどい。

でも、それは僕にこの世界が重層的であることを

教えてくれた。

肩を挙げるにも、そんな前提が必要なこと。

立つことに、呼吸することに、そんな準備が必要なこと。

しんどいけど、泣いちゃいかん。

普段目立たぬ音たちが聞こえなくなる。

上を向いて歩かない日があってもいい。

歩けずに座り込んでも、

倒れこんでもいい。

地面がこんなにも温かくて、

そんな地面の上で虫たちが一生懸命

生きていることに気づかせてくれる。

大いに挫折すればいい。

ケガを負えばいい。

一番大切なモノを失ってもいい。

控えめで、目立たないやつらが話しかけてくる。

そんなやつらがいて、

上だけ向いて、笑って、大股で歩いていけるやつがいる。

自分の自己実現のために、ポジティブシンキング

で進んでいけるやつがいる。

僕は、僕の全体で、誰かの部分でもある。

強くなればなるほど、いろんなことが怖くなる。

上手くなったと思えば思うほど、何もできない自分に気づく。

まだまだ旅は、終えることはできなさそうだ。

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