RSS|archives|admin

スポンサーサイト

--.--.-- --
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


Category:スポンサー広告 | Comment(-) | Trackback(-) | top↑ |

on the edge of the language

2009.05.29 Fri
この世界を感じていく。

それを意識するために、何を使うかといえば、

僕らは言葉を使っている。

もし、リンゴとトマトがあって、言葉がなかったら、

どう僕らは感じるだろうか?

感じることは感じているだろう。

でも、それを誰かに伝えるとなると、

言葉が必要になってくる。

だから、コミュニケーションに言葉は必要不可欠だ。

詳細に伝えようとすればするほど、

同じようなものでも分ける必要が出てくる。

そうやって言葉が増え、様々な微妙な違いが

他の人にも伝わってくる。

でも、なんとか言葉がない状態で、

それを伝えようとすると描写が必要になる。

その人の気持ちが伝わってくる。

ぬくもり、ぎこちなさ、違和感、

様々なものを相手からもらう。

言葉を分ける。

便利だが、そんないびつさ、温かみが

抜けてくることもある。

先日、患者さんの中に、見た目からは想像できない

分野を研究している学生に出会った。

彼は、

「日本では虹は7色だが、他の国では5色のところもある。」

「南極に住む人は、雪だけでも20種類ほどの表現がある。」

それを不思議に思っているらしい。

ただ不思議に思うだけでなく、その考察は、深く味わい深い。

久しぶりに年下でおもしろい男に会った。

虹を5色の言葉にしか分けなかったら、

たしかに虹は5色に見える。

7色に言葉が分けられているから

7色に見える。

もっと分けたらそう見えるのかもしれない。

じゃあ、虹を感じた時に、どう感じるかは、

結構言語に支えられてる気がした。

僕は秋田の出身だから、なんとなく雪にも

いろんな種類があるのを知っている。

でも、20種類もあるか?

雪国出身じゃなかったら、雪は雪でしかないだろう。

雪国は雪が多いから、まずなんとなく不可分の感覚があり、

それを意識するため、相手に伝えるために、

言語豊かに育まれるのかもしれない。

海の近くで育つと、海の表情にも何種類の

表現があるのかもしれない。

山の中で育つと、音楽が盛んな場所では…

でも、20種類の言葉を知ったから、

20種類を感じ分けられるか?

僕はできるかもしれない。

でも、あなたは?

まずは圧倒的な、不可分の感覚の蓄積が

ないと厳しいのではないか。

もうすでに、僕らは言葉が飽和するくらい

多様に存在している時代に生まれてきた。

確かに、違いを感じやすく、

そして、コミュニケーションは取りやすいのかもしれない。

でも、必死でその違いを伝えようとする

その想いは薄くなってきてはいないか。

「生命の息吹」と茂木さんは言うが、

それを感じられないコミュニケーションは

多くはないか?

自分の言葉で自分を語れていますか?

僕は、医療の現場で働かせてもらっている。

医療の現場は間違いが許されないため、

確実なコミュニケーションのために、

かなり細かい言葉に分けられている。

誰にでもわかるようにと。

それを、勉強して、そして辛く長い研修を経て、

医者や、理学療法士や、トレーナーになっていく。

誰でも努力すればなれると。

でも、僕はそれはどうかと思う。

先生と呼ばれている職業、

やはり選ばれし者がならないといけないと思う。

それは僕が選ばれし者なんだと

言っているわけではない。

みんなが天才になって、忍耐力があったら

医者になれるのか?

僕は医者には向いていない。

だからこそ、医者こそ「生命の息吹」を

宿している人であってほしい。

病気を診る前に、人をみる仕事であるはずだ。

まず、人に興味がないと、愛がないと。

そういうなんとも言えない感覚を蓄積していて、

そして勉強していくことで、それは意識になる。

興味がない人が、勉強して、医者になる。

僕はぞっとする。

もちろん、研修の中で、様々な人に出会い、

様々な思いも抱くかもしれないが、

根本的に興味を持っている人とは

明らかに違う。

いくら勉強しても、ネイティブには英語は敵わない。

もちろん勉強することも大切ではある。

ネイティブには匹敵しなくても、

かなり英語が上手い人はたくさんいる。

でも、やっぱり向いていない人もいるとは思う。

僕らは、もう言語が溢れている時代に生まれてきた。

でも、それで全てが認知できたわけではない。

医学用語全て覚えたから、

知識量がハンパじゃなくても、

僕らは身体のことを全てわかっているわけじゃない。

わかっていることは、

「全てわかるわかるはずもない。」

ということである。

あくまで、ほんの一部分しか認知などできない。

神になど到底及ぶわけない。

大事なのは、それを受け入れて、

自覚して、それでも前に進むことである。

絶望することではない。

この世の中から争いがなくなることは

この先も永遠にないと思う。

でも、だからって何もしないわけじゃない。

そこを目指して、何かをすることが大事である。

もちろん、ただ祈ることだけでも。

僕は、その言葉が生まれてきた経緯、

物語を想像することが僕にできることだと思っている。

そして、感覚を信じて、言葉から離れることも。

言葉とは偉大である。

今、それは行き過ぎて、感じることをおざなりにしている

気がしてならない。

言葉とは、感覚に目を向け認知を助けることあるが、

感覚から目を背けることも容易に助ける。

バガボンド30巻でもないが、

「まんなかが一番いい。」のである。

でも、端を感じないと、まんなかもわからない。

言葉とは、極めて人間的なものであり、

それを使い、感覚を深めようとしたのに、

人間はそれにより、感覚を失いつつある。

バガボンドで剣についてそんなことが書いてあった。

最近、言葉と感覚、一見して反対方向にあるもの同士が、

同時に深まっていく感覚がある。

世界がぶつ切りにしか感じられなかったのが、

重層的に感じ、語れるようになってきたと思う。

でも、上手くなったと思えば思うほど、

目的地に近づけば近づくほど、

自分が目的地よりも遠いことに気づく。

強くなればなるほど、天下無双との強さの違いが

痛いほどにわかる。

感覚と言葉とは密接に関わっている。

最近の、社会は言葉をあまり知らない。

一つのコミュニティーで使われるそこの言葉しか。

そうじゃないと、空気読めてないことになるから。

みんな同じことしか言わない。

それじゃ、世界がぶつ切りにしか感じられない。

いや、感じていることは感じているが、

そこを深めてはいけないといった方がいいのか。

感覚の豊かさがない。

そうなると、道端の花を見て幸せを感じたり、

息子がありがとうと言ってくれたことがうれしかったり、

そんな身近にある幸せに気づかずに、

グローバリズムの影響で、

「みんながいいものがいい」となってしまう。

イタリアのおっさんだけがかっこいいわけじゃねーだろ。

言葉の重要性をすごく感じる。

それを学ぶのは学校である。

ゆとり教育なんて言ってる場合じゃないよ。

ちゃんと教えないと。

言葉を、そして感覚も。

言葉と真剣に向き合わなければいけない時が、

本当に来たのかもしれない。

僕のやれることをやることにしよう。


最後に、

最初に書きたかった内容とえらく変わってしまったが、

これが僕の言葉なので、その感覚を1人でも想像していただけたら

最高に僕は幸せである。


大友 勇太
関連記事
スポンサーサイト


Category:大友 勇太 | Comment(2) | Trackback(0) | top↑ |
<<FIRE CAMP TOUR 2009 | HOME | この世界の重層たるや。>>

相互リンクお願い

突然のコメント失礼致します。
失礼ながら、相互リンクしていただきたくて、コメントさせていただきました。
http://sirube-note.com/physical-therapist/

もしよろしければ、こちらのページから相互リンク登録していただけましたら幸いです。
http://sirube-note.com/physical-therapist/link/register/
今後ともよろしくお願い致します。
yS1emctH
mtsVTvCA | sirube | URL | 2009.05.28(Thu) 16:29:39 | [EDIT] | top↑ |

sirubeさん

コメントしていただきありがとうございます。

ホームページを拝見させていただいたのですが、理学療法士をなさってらっしゃるんですね。

相互リンクの件なのですが、大変申し訳ないのですが、今回はお受けすることはできません。

以下に私の思いを書きます。

リンクするということを、私は「私自身が実際にお会いしてお話をする中で、この人はすごい。または、この人は応援したい。」と思った方とだけ、リンクさせていただきたいと考えています。

私がリンクしている方は、「その方がブログで書いている内容を、私が同じようにことを思っていると思っていただいても問題はないですよ。」という方々です。

sirubeさんは理学療法士さんですし、お会いしたことも、何かを共有したこともまだありません。ですので、今回の件を受けることは私自身難しいのです。

これはあくまで私の考えです。sirubeさん自身のやり方や理学療法士ということを否定しているわけでは決してありません。ただ、知らないのです。それが私自身怖く、受け入れることが難しいのです。

どうかご理解いただけませんか?

せっかくのお願い、非常にうれしいのですが、今回はすいません。

これからも、もしよろしかったらまたブログ見てください。

大友 勇太

追伸
ご理解いただけないことがございましたら私の方まで直接連絡ください。
- | 大友勇太 | URL | 2009.05.30(Sat) 20:44:11 | [EDIT] | top↑ |

name
title
mail
url

[     ]
Trackback URL
http://ccca.blog61.fc2.com/tb.php/397-70a7ed4f

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。