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yogaから世界を覗いてみる。

2010.04.16 Fri
今日のBoulderは寒いです。

昨日は半袖短パンだった皆さんも

さすがにダウンとか着ています。


昨日は、yogaに行ったのですが、

その感想を書くのを忘れて、

なにやら日本における「トレーナー」の

話をしていましたね。


昨日の先生は、Kirstenっていう女性の先生でした。

いかにもyogaの先生って感じのきれいな方でした。


少し会話をして、レッスンが始まろうとしていたのですが、

なんと僕一人…


とてもありがたいのですが、

なんだか恥ずかしい。笑


広いスタジオに二人きり。


内一人は、英語勉強中。


けど、asanaは世界共通なので、

asanaに関してはなんとなく分かりました。


始まってすぐには、もう一人男性も入ってきたので、

とりあえず重い空気はなんとかなりました。


yogaの先生は、生徒さんのasanaを、

その生徒さんにとって、「もう少し自由になるところ」まで、

誘導するためにタ言葉やタッチも使います。

そのタッチのことを“adjustment”と言ったりもします。


僕がRolfing、もっというとタッチに興味を持ったのは、

yogaをやっているときだったです。


ある先生が、僕がasanaをやっている時に、

僕に触ってくれる。


それだけで、「あぁ、そっちに行けばよかったんだ。

こんなに楽になるんだ。」って、

ものすごい変化がでる時があったのです。


決して、強引な力任せなタッチじゃないですよ。

誘導>修正

ってな感じです。


修正は否定的ですが、誘導はもう少し肯定的な感じですよね。

修正は、まずは否定から始まります。

誘導は、まずは受容から始まります。


でも、先生によっては、全然身体が反応しないことも

あったんですね。


それで、「何でこんなにも人によって違うだろう?」

ってものすごく疑問に思いました。


そこで、Rolfingに出会い、

もっともっとタッチを学んでみたいなって思ったんです。


みなさんにもあると思います。


「何だかこの人に触れられると安心する」

と、恋人に直感的に感じたりね。


でもね、おもしろいのが、そういうyogaの先生たちって、

多分のタッチの質に関しては学んではいないと思うんですよね。


でも、生徒さんを「もっと自由なところに導きたい」って

思って、自然に身につけてきたんだと思います。


「どういうタッチが生徒さんの動きを邪魔せずに、

 でも、誘導できるかな…」

とか自然に悩んでやってきた人たちは、

そういうタッチが身についたんでしょう。


だから、タッチの「技術」ってところだけを

突き詰めてみると、少し粗いところもありますが、

そのタッチにはすごく「その人らしさ」が詰まってて、

勉強になります。


ちなみに今日のKristen先生も、

すごく優しいタッチの方で、

例えば僕の緊張してしまって縮こまっている腕をタッチされると、

その腕に羽根が生えたかのように、優しく伸びていきました。

Kristenさんのお人柄がよく出ていました。


また来週行きたいと思います。

よろしくお願いします。


ここからは、ちょこっとyogaの難しい話をします。

興味ある方だけどうぞ。


現代のyogaの中心は、asanaです。

つまりはポーズです。


asanaを表現するときに、「きれい」とかじゃなくて、

「asanaに深く入っている」などという表現を使ったりします。


得意なasanaには深く入れるんですが、

苦手なasanaは拒否反応を示し、

なかなか深く入れないんです。


「入る」or「入れない」に関して説明していきますね。


「asanaって何のためにするの?」

って聞かれたら、いろんな答えがあると思います。


ダイエットのため、

きれいなボディーラインのため、

リハビリのため、

ストレッチの代わり、

みんなやってるし、出来たらかっこよさそうだし、


僕なら、

「自分がどうしていいかわからない状況に陥ったとしても、

 自分を見失わず、胆を決めて、適切にふるまえるようにするため」

って内田樹さんの言葉を借りて言うことができると思います。

(内田樹さんのブログ→http://blog.tatsuru.com/)


yogaっぽく言うと、「どんな状態でも瞑想状態に入るため」でしょう。



じゃあ、その「瞑想っちゅうもんは何よ?」って言われますと、


瞑想ってのは、

「ものすごく集中していて、それが長く続いている状態」って、

綿本彰さんがおっしゃていて、なるほどなと思いました。


綿本さんは、日本のyoga界をリードしていっている方です。

と、僕は思っています。

(綿本さんのHPは→http://www.yoga.jp/)


瞑想に入るのもいろいろな方法があると思います。

坐禅みたいな感じでやるのもいいのですが、

僕はもっと広く捉えて、

「集中状態が長く続いている」のであれば、

形は何でもいいのではないかと思います。


心地のいい自然の中で、

風を感じながら、ハンモックに揺られて空を

ぼーっと眺めている。

遠くからは、木々の葉がこすれ合う音、

鳥の鳴く声も聞こえてくる。


も、ありでしょうし、


波打ち際を歩いている。

最初は、ごちゃごちゃ日々の悩み事が

頭の中をグルグル回っていたが、

歩いているうちに、

そんなものはどこかに消えて、

気づいたらこんなに遠くまで歩いてきたんだ。


でもいいでしょう。


それも「瞑想」だと思います。


やる場所も、服装も、使う道具も、時間も、

何もかも制限がある状態でやる「瞑想」が

果たしていかがなものか?


そこに「いられない人たち」はどうするんだ?

「瞑想」に入る価値もないのか?


いや、ベストはそういった環境でやることかもしれませんが、

日常でいくらでも「瞑想」には入れます。


そのための助けとして、少しモードというか、トーンを変えなきゃいけませんけどね。

例えば、職場の近くに感じのいい喫茶店があるとか、

休日は波乗りに行くとか。

自分にとって心地のいい場所を持っておくってのもいいことだと思います。


asanaはそんな瞑想に「どんな状況でも」入るための

練習みたいなものです。

と、僕は思っています。


だから、「asanaの見た目がきれい」ってのは二次的なことで、

「そのasanaで深い瞑想状態に入れるかどうか」が

まず大事なのです。


後で書きますが、「見た目のきれいさ」は、

深い瞑想状態に入れるかっての突き詰めていく過程で、

「オマケ」的に付いてきます。


例えば、バランスが必要なasanaの時に、

明らかに足の置く位置が変だとします。

そうすると、上に乗っかっている身体は、

当然グラグラしてきます。


そんなときに、「深い瞑想状態」に入れるでしょうか?


自分のasanaと向きあわず、他人と比べてしまって、

がんばりすぎて、呼吸が浅くなっている人がいます。


その場合はどうでしょう?


同じasanaをしていても、

その人が「瞑想」に入れるかどうかは、

人によって違いますし、その日によっても違います。


asanaは困難なものもありますが、

その「困難さ」に本質があるのではなく、

「困難な状況に、どう振舞っていくか」が

asanaをする本質になってきます。


困難なものをそのまま困難にしてしまっては、

ただの「我慢比べ大会」です。


そこでの先生の役目は、その時、その人に応じて、

その人が「より深く瞑想に入れるようなヒントを示す」ことです。


つまりは、「この困難な状況で、次にどう進んだら、

落ち着ける楽な状況になるのかの道を示す」ことです。


ある人には、足の置く位置のヒントを与えただけで、

その人がすごく楽になることもあるでしょう。


ある人には、「足の力を骨盤に届け、それを指先まで伸ばしてくように」

と、イメージを伝えると、その人が楽になり、

asanaも変わってくる場合もあります。


ある人には、「ちょっとがんばりすぎだから、もう少しこの位置でやってみて」

と、手綱を引いて上げることもあるでしょう。


困難な状況から、「落ち着ける居場所」を見つけると、

人はゆるみ、そして一瞬の「無」が訪れます。


よく、危機的状況から助かった人のコメントで、


リポーター「今の気持ちを教えてください!」

助かった人「今は何も考えたくありません。」


と、思考停止状態になるんです。

それを利用して、瞑想に入ろうとするのが、

asanaのテクニックなのかなと思います。


asanaというのは、基本的に非日常的な動きです。

普段の生活であんな形にはなりません。


そうしたら、「なぜasanaをして、瞑想に入ろうとするのか?」

という疑問が出てきます。


「瞑想に入るだけなら、あんなしんどいポーズをしなくても

 いいじゃないか。」

「さっき、海辺を歩くだけでもいいって言ったじゃないか。」


そうです。

その通りです。

瞑想に入れればいいだけですから。


でも、そんないつも海辺を歩けるわけでもないし、

ハンモックあるわけでもないし、

お香とか間接照明とか瞑想っぽい雰囲気を作れるものが

自分の部屋にあるわけじゃないし、

そもそも時間もないし…


そんな環境にいれたら、誰でも簡単に瞑想には入れます。

その環境を自分で作れたら、asanaはわざわざする必要は

ないかと思います。


でも、人生ですから、

仕事や学校などの日常がありますし、

急に不安定な状況になることもあります。


だから、asanaをするんです。


asanaって非日常的ですよね。

そういう非日常的な状態に、あえて自分の身を置くんです。


そりゃしんどいです。

非日常ですから。


でも、やっていく内に、

「足をまっすぐにしただけもめっちゃ楽。」

「イメージを変えただけで、床に手が着いたし、身体も楽。」

って、コツを掴めてくるんです。


必ずしんどそうなasanaでも、

すごく落ち着ける場所が、その人だけの場所があるんです。


それを、


“Find your Balance”

"Find your breath"


って先生は言います。


「確かにそこにいたらしんどいよ、でももう少し手を伸ばしたら、

 自分でも信じられないくらい楽な場所があるよ。

 手伝うから、自分で見つけて。」


そうやって、非日常的な状況に自分が置かれてしまって、

でもなんとかしなきゃいけない時に、

自分を見失わずに、

「自分が落ち着ける場所」を見つけられるのかどうか、

つまりは「瞑想」な状態になれるのか、

そんな練習をasanaを通してyogaはしているのかなと思います。


あくまで僕の解釈ですよ。


そりゃ、いつでも自分の好きな場所にいられたらいいです。


でも、みんなそうじゃありません。


とにかく忙しい人、どんどんやることが押し寄せてくる人…


そんな時には、「Flow」というyogaのスタイルがあります。

asanaがつながっていて、切れ目がないんです。


その中で、自分の見失わず、自分の範囲の中で、

バランスを保ち、流れに乗って動けるのか、

そんな練習方法もあります。



大切な物、人を失ってしまった…


かなりダイナミックなyogaのスタイルもたくさんあります。

僕がBoulderで初めて受けたyogaはかなりダイナミックでした。

だから「体操選手かよっ!!」って突っ込みました。


そんなかなりの非日常的な状態の中で、

自分のバランスを見つけられるのか、

そんな練習もあります。

ちなみに僕は見つけられませんでしたよ。笑


なんとなくわかっていただけましたかね?


でもね、社会の中でのyogaの認知って狭いんですよね。

元々は、「みんなつながっているんだよ。」って

考えが流れているのに。


それを、「こんな風にyogaを考えている25歳もいるんですよ。」

って少しだけ言ってみたくなりました。


なんかちょっとでも、みなさんのヒントになったらうれしいです。


明日もyoga行ってきます。

明日はasanaによってどんな窮地に立たされるんでしょう?笑

多分またボロボロだ…

Boulderはレベルが高い。


でも、こういう下から始まる感じ好きです。

Mですから。笑


では


Yuta






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