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文字がカタカタ動き始める、そんな瞬間

2010.12.08 Wed
英語を「読む」のが、少しずつ好きになってきた。

やはり、もともと「読む」ってのが好きなんだろうなって思う。


日本にいるときは、

インターネットで英語のサイトを見ると、

脊髄反射的に×ボタンを押していたし、

海外の空港の文字盤を見るのも嫌だったし、

Boulderの街を歩いていて、

看板などの英語を見るのも怖かった。


典型的な「英語アレルギー」だと思う。


今でも、英語の文章を見るときには、

気合入れて「モード」に入らないといけないんだけど、

それでも、入ってから「もう無理」って

なってしまうまでの時間が伸びてきたように思う。




そんなこと考えてたら、

兄さんとのキャッチボールの思い出が蘇ってきた。


僕は、兄さんと15歳、歳が離れている。


だから、僕がキャッチボールをできるくらいの歳には、

兄さんは、人生の中で最も体力のある時期だった。


だから、投げる球が速い。


キャッチボールの思い出といえば、

怖かったくらいしか覚えていない。


最初は怖くて逃げてばっかりだったけど、

少しずつ恐いながらも、ボールは捕れるようになった。


恐いんだけどね。


英語の「読む」能力に関しては、

今はそれくらいの時期なのかなと思う。




じゃあ、何で恐いのにキャッチボールを続けたのかを

考えてみると、「野球」そのものに魅力を

感じていたからだろう。


「絶対にうまくなりたい」と心から思っていた。


では、英語はどうか。


英語の文に向き合うのが恐い。

それでも、向き合おうと思えるのは、

その「英語の文そのもののコンテンツ」に、

魅力があるかどうかだと思う。


英語の教科書なんか読んでも、

僕にとっては、そもそものコンテンツが

興味がないものばっかりである。


今まで日本語の本はたくさん読んできたけど、

「これを読まなければいけない」って直感的な魅力があるから、

どんなに難しい本でも読んできた。


内田さんも書いてくるけど、

本が、僕に対して変容を要請してくるのだ、

「これを読める人間になれ」と。


やはりそういう感化力のある本じゃないと読む気がしない。




では、どうやってそんな本、文に出会うのか。


そこで出会ったのが、僕にとってはTwitterだった。


最初は、僕の日本の好きな本の作家をフォローして、

その人達がフォローしている人の文を見てみる。


そして何かを感じたら、その人をフォローする。


中には、たまに英語を話せる日本人の方がいる。


その人が英語でTweetしたりするので、

まずはそういう人の英語を理解しようとした。


そうすると、たまに英語のリンクを貼り付けていたりする。

それを読んでみる。


もしも、その英語の文体が読みやすかったら、

リンク先の英語のブログをブックマークする。


そうやって、少しずつ少しずつ、

「英語なんだけど、読みたい」って思う文を探していった。


人脈と同じで、最初の内は手当たり次第だけど、

少しずつ、縁が「育ち始める」ことがある。


勝手に広がっていく。




今では、かなり多くの、英語でいい文章を書く人の

ブログを見つけることができた。


そしてもし、その中のブログが更新されたら、

自動的に知らせてくれる環境も整えた。


だから、1時間に2,3個くらいはコンスタントに、

フレッシュな英文が送られてくる。


さらに、Twitterでも、いろんな人が英語のリンクを、

僕のタイムライン上に置いていってくれるので、

それをチェックする。


そのおかげで、様々な分野の、自分の内側が欲する文を、

タダでコンスタントに手に入れることができる。


最初は、それに追いつくのが精一杯で、

借金のように文が溜まっていってしまっていたけど、

今は、少しその波に乗れるようになってきた。


そうやることで、自分なりの英語を学ぶ、

特に「読む」能力の向上の環境は作っていった。




最近、ふと気づいてきたことがある。


人の話も同じだけど、

その人の文が、からだに「スーッと」入ってくる人がいる。


なんとなくスーっと、読める文体がある。

ほとんどストレスを感じない。


それって人によって違うと思うから、

自分に合った文を見つけられるかどうかで、

英語の読解力は変わってくるかと思う。


日本語でもそうなんだけど、

この世の全ての文を、完璧に意味を取れなくてもいいと思う。

Yahoo!ニュースを、全て興味持って読むのは無理だ。


今なんかは、WikiLeaks関連のニュースよりも、

市川海老蔵関連の方が、どんどん読める。


意外にその辺は、英語を学ぶ人の中で気づいてない人が、

多いかなって思う。

自分も、英語の勉強をするなら、教科書だと思っていたし。




なかなか時間がかかったけど、

読むのが少しずつ楽しくなってきたし、

どれを読むべきなのかも、

直感でわかるようになってきた。


僕の場合は、本とかの文をサラッと見たときに、

文字が踊っていたり、色がついたり、

風景が見えたりするのは、

「あっ、呼んでる」って思う。


日本語ではそれを感じていた。


英語でも、まだ日本語ほど鮮やかで、

躍動的ではないけれど、

文が動き始めてるのは感じる。




これから僕の英語は、どんな道を通るのか。


これが、「聞く」につながるのか、

はたまた、「話す」につながるのか。


楽しみでもある。


と試しに、昨日、久しぶりに字幕なしで

NCISを観てみたんだけど、

全く聞き取れなかった。笑


次の課題としては、もっともっと僕の好きな文章を読むこと。

(今はScience、特に脳関係)

そして、それを他の能力にいかにつなげていくのか。


トレーニング指導と同じだな。




この道が、「英語が苦手で苦手でしょうがない」って人の、

励みになればいいだけどな。




最後に、英語学習についての素晴らしいエッセイを。

「英語力が上達するプロセスで起こること」




Yuta
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