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小説と僕のこと。

2011.08.17 Wed
ようやく小説を読み始めました。

今までの人生で、小説にはご縁がありませんでした。

27年の時間が僕には必要だったみたいです。

「読書が趣味です」と言えるのに、

20年以上必要だったみたいに。

Boulderに1年間いるときに、

「小説を浴びたい」

と思うようになりました。

僕の中で言い換えると、

「たくさんの物語を目撃したい」

となるのかもしれません。

読書が必要だと思ったのは、

「この世には、構造が存在している」

と気づいた時からでした。

どうも、見えない枠組みがあって、

そこを僕らが通って行く時に、

「何かしら法則らしいものが存在するかのような何か」

を感じるようになったのです。

あの人には毎回起きて、

この人には毎回起きない、

というような形で。

そういう事実はあって、

どうも、その構造が見えている人と、

見えていない人も存在して、

その事実に対しての解釈が、

まるで違うこともわかってきました。

解釈の「踏み込みの深さ」、

そして、「汎用性」が、

両者の間の言葉遣い、からだ遣いを見ていると、

あまりにもはっきり見えます。

そういうことに気づき始めてからは、

自然に、「構造的に」考えている人の文章、

または、その人自身と関わることが、

そうでない人よりも多くなりました。

自分も、もちろんそんな人になりたいですから、

いろいろと学んできました。

そこで、僕が自然に選択した手段は、

「見えない構造を、見えない構成要素で組み立てていく」

というものでした。

僕のイメージで言ってみると、

「ひたすらに、方程式を覚える」

作業に近いかと思います。

数学には、方程式という形のあってないようなものがあります。

たくさんあります。

それを、たくさんの本と共に、

学んできました。

僕の本棚を見てもらったことがある人なら、

理解に助かるかもしれませんが、

いわゆる「小難しい」本が、

僕の本棚を埋めています。

でも、所詮は方程式です。

使ってなんぼです。

何かが流れなければ、

そこには「構造」なんてありません。

いや、「構造らしきものが存在するかのように直感する」

ことがないのです。

だから、流れを伴った「物語」が必要なのです。

繰り返し、繰り返し

「物語を浴びる」

そうすると、その物語の中に仕込まれた、

構造、ここでは、「教訓」と言ってもいいものが、

自然にからだに染みこんでいきます。

童話をたくさん聞くことによって、

「いのちは大切である」

ということを、自然に学んでいたりするのです。

もちろん、物語を浴びた子供は、

そんなこと染み込んでいることには気づいてはいません。

以前までの僕は、

ここで言う、「いのちは大切である」

ということを論理から学んでいた感じです。

以前の僕のように、

「構造を丁寧に学んでいくこと」も、

「物語を通して、自然に身につけること」も、

どちらも方法論としてはありだと思います。

人によって、

さらには、その人の中でも段階によって、

それは使い分けなければいけません。

方程式自体を学ぶことも、

とにかく練習問題を解きまくることも、

両方必要です。

僕の場合は、ある程度の構造を把握するまでに、

27年の年月が必要だったみたいです。

そして今、練習問題、

物語が必要になってきました。

そして、論理の中で組み上げてきた構造の、

実生活の中での不備を点検し、

そして、マイナーチェンジして、

その繰り返しをしてかなければいけない気がします。

というわけで、

ただいま小説を読んでいます。

無論、同様の理由で、

映画を見ているのも事実です。

「コクリコ坂から」

観に行きましょうかね。




Yuta
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