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わかりにくさの効用。

2012.07.11 Wed
先週、元町でロルフィングのお話させてもらいました。

神戸でヨガを教えてらっしゃるぬんさんが、

寺っ子屋というシェアスクールを始めて、

そのボディワーカー勉強会の第一回目の

講師をさせてもらったのです。

学びたい大人たちが自主的に集まって、

それぞれの得意分野をお話する。

楽しい感じです。

でも、自分が話すとなるとなかなか難しくて、

実際、かなりいろいろ考えました。

ただの交流会って感じで、

お互いやってることをただただ紹介するってのも、

個人的にはおもしろくないなって思ったので、

ある程度は「来てよかったな」と思うくらいの

お話をしたいなと思いました。

だからといって、参加されたみなさんが

ロルファーになるわけではないので、

そんなにかっちりしすぎてもだめだし、

「触れる」ってことは、どんなボディワーカーにとっても、

そうじゃない人にとっても大切なことなので、

そこを実技中心でやったとしても、

ロルフィングってのが薄くなるし、

まあ悩みました。

散歩してるときも、ごはん食べてるときも、

誰かと話すときも、セッション中にも、

いろいろと考えました。

わかりやすい、つまりは手に取りやすい形にすると、

ロルフィングや、ボディワークそのものが持っている、

いきいきした躍動感がなくなってくるし、

だからといって、手に取られにくいのも困るし、

いろいろ考えた末に残ったのが、

「なんかよくわからんが、思わず手にとってしまうもの」

のお話をしようと思いました。

今、自分の手にしているものが何なのか、

それはよくはわからないが、

何かひっかかるものがあって、

ついつい手元に置いておいて、

ふとあるときに、また手にとってしまうようなもの。

それがいいのか悪いのかはわかりませんが、

ただ今回は、そんな話をしました。

実際にロルフィングをしている僕も、

未だにロルフィングの姿が見えなくなったりもします。

「重力の中で、からだの構造を、自然な状態にしていくプロセス」

それを達成するために、

10回のロルファーとのセッションを通して、

自分のからだを見つめ、

重力の中で、自然な状態でいられるような姿勢、構造を学んでいきます。

姿勢、構造のかたちが変わることで、

周りの環境との関係が変わっていく。

それを、ロルファーとしてわかっているつもりですが、

まだまだ捉えられているとは思いません。

ロルフィングは、ものとしてそこに存在するのではなく、

何かに映されないとわかりません。

こころと同じようなものです。

ある人に、ロルフィングというものをしてみて、

それで起きたことを詳細に拾っていくと、

そこに何かがあるように見える。

鍼灸や、整体、マッサージ、ヨガなど、

ボディワークは、本来そんなものだったと思うのですが、

それが、時間が経っていくほどに、

それ自体がもののようにふるまい始めます。

ものに見えると、それをコントロールしようとしますが、

コントロールできない部分があると、

コントロールしやすいかたちに変えていきます。

そうやって、ボディワークは、

手に取りやすいものになっていったのではないかと、

自分で想像しました。

なので、もう一度そこを捉え直せたらなと思って、

がんばって話させてもらいました。

しかし、ここまでお話してわかるように、

なんだかわかったような、わからない話になってしまいました。

そんな状態を、僕のことを前から知っていた人は、

「講師なのに、ずっと「わかんないんですよね」って言ってて、

おもしろかったよ」

と言っていました。

勉強会が終わった後に、いろいろな方々の感想を聞きました。

それぞれの方が、僕の話の中で、

それぞれの手にとったものの話をしてくれました。

それが何なのか、わかっていらっしゃる方も、

わかっていないけど、とりあえず手にとってらっしゃる方もいました。

僕としては、まずは終わってほっとしたので、

あとは、その手にとられたものが、

話を聞かれた人の中で、

静かに意味を変えていってくれればいいなと思います。

わかりやすい話もすごく楽しいのですが、

わかりにくさの効用についても、

改めて考えることができたので、

僕としてはとても素晴らしい経験になりました。

でもやっぱり、もしも次もお話させてもらえるなら、

わかりやすい実技でもしようかと思いました。

わかりにくいということも、なかなか大変なことなんですね。




Yuta


Category:大友 勇太 | Comment(0) | Trackback(0) | top↑ |

また同じことしてる。同じ風が吹いている。

2012.06.15 Fri
中京大時代は、暇があればフィットにいた。

けっこう大きいトレーニングルーム。

そこで一日中、自分でトレーニングしたり、

パーソナルトレーニングセッションしたり、

他の人のトレーニングを見てた。

トレーナーになりたくて中京大に来て、

トレーナーのカリキュラムがないことに気づいて、

サークルに入ってトレーナーの勉強をした。

先生は先輩。

「中京は、待ってても何も学べないから、

 どんどん外に出ていかないといけない」

と先輩に教わった。

トレーナーになりたくて、

本当に全国に行きまくった。

毎週末、東京か大阪にいた。

セミナーに参加したり、

トレーナーの専門雑誌に載ってる人に直接連絡して、

会いに行ったりしていた。

そんなことしてトレーナーの勉強してたけど、

次第に、自分のしたいことは「トレーニング」だと思ってきた。

だから、フィットには毎日いた。

何か本に書いてるトレーニングがあったら、

実際にやってみて、いけそうだったらパーソナルセッションでやってみて、

特に友岡和彦さんのトレーニングはやりまくった。

少しずつ、自分の軸もできてきて、

そうなると、フィットでトレーニングをしている、

いろんな部活の選手の動きを見た。

ずっと見てた。

「何であんなグリップでやるんだろう」

「何であそこで止めるんだろう」

「あれ何のトレーニングだろう」

気づいたら、授業もほとんど出ずに、

ただただトレーニングしてる動きを見て、

そんで気づいたら自分で動いたりしてた。

おかげで、本当にいろんなトレーニングをした。

スクワットだけでも、

足をくっつけて、フルスクワットしたり、

片足に台に乗せてスクワットしたり、

左右でプレートの重さを変えたり。

スクワットを見るだけで、どんな動きをする人なのかも、

なんとなくわかるようになった。

今ではプロで活躍してる人とも、

オリンピック、ワールドカップに出場してる人とも、

トレーニングした。

ただただ楽しくて、その人たちに少しでも上に行ってもらいたくて、

一緒の時間を過ごした。

あの頃は、時間の制限なんてほとんどないから、

6時間以上のトレーニングもよくあった。

お金ももらってないから、

純粋に楽しめた。

大事なことは、全てあそこで学んだ気がする。

自分では、そんな過程の中で、

自然に身についたり、

身につけなければいけないことがあって、

それは、他の人にはとても時間がかかったり、

時間をかけてもわからないことが多いことも、

なんとなくわかってきた。

けど、選手と自分との間にこそ、

見つけるべき真実があって、

それがいわゆるトレーニングで言われてる真実とは違っていて、

その真実こそ信じるべきなんだと気づくのには、

なかなか時間がかかった。

いろんなことを、いろんな人に言われた。

その時は、悔しいなと思ったけど、

今思うとごもっともだし、

それがないと、今の自分もないと思う。

そのおかげで、僕には見える世界ある。

今、ロルフィングが楽しい。

クライアントさんとじっくり話して、

からだのこと考えていく。

「知り合いに、からだが変わったと言われた」

と目を輝かせながら言ってくれる。

うれしいなと思う。

そして、「またあの時の時間を過ごしているんだ」

と思う。

ちょっと回り道はしたけど、

また、人と向き合って、

からだを使って、一緒に真剣に悩む。

大学の頃と、同じことをまだしてる。

いろいろ経験しても、人間はそこそこ変わらないみたいだ。

気づいたら、同じような風がまた吹いている。




Yuta


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大きな流れの中にあって。

2012.06.13 Wed
ロルフィングをするときに、

「どこにも居着かずに、流れている」とか、

「まんなか付近でゆらぐ」というのは、

とても大切なことだ。

だから、僕のいいなと思うロルファーの多くは、

瞑想の練習していることにも頷ける。

そういうゾーンにいると、

自然にロルフィングになっていく。

ロルフィングの授業のときに、

「クラスでは、すごく変化が出るんだけど、

 家でやると、まるで変化がないの」

とクラスメイトが言って、

すごく僕も納得したのを覚えている。

確かに、ロルフィングがテクニックのときには、

クラスでやったことを家でやっても、

全然何も起こらない。

「あれ、クラスでやったことは夢だったのか」

とさえ思った。

けど、テクニックじゃなくて、

「僕がどういう状態なのか」を見つめていくと、

自然に起きることは起きると気づき始めてから、

瞑想の大切さを知った。

ロルフィングはするんじゃなくて、

条件が整うと、起きる。

クライアントの姿勢をダメ出しして、

「俺が最高の姿勢にしてやるよ」

なんて心持ちでセッションをしても、

そんなものロルフィングでもなんでもない。

日本に帰ってきてから、

母国のせいか、逆にいろいろな情報が入りすぎて、

ゾーンに入れなくなってしまった。

アメリカやブラジルでは、

どうせ話してることなんてわかんないから、

自分の世界に入ることは比較的容易だった。

でも、日本だとわかりすぎてしまうから、

情報が入ってきすぎてしまう。

日本で、どこでロルフィングをするのか、

かなり悩んだのもそのせいだ。

なかなかロルフィングが起こる条件を、

自分で準備できない日々が続いた。

そうすると、この神戸の岡本で、

いろいろな人に巡り会うようになってきた。

ぬんさんって人がいて、

ヨガの先生をしてるけど、

ヨガと瞑想を同時に起こさせることができる、

稀有な人だ。

この人のヨガにはちょこちょこ通ってて、

そのレッスン中には、

かなりロルフィングが起こりそうな感じになって、

「ああ、Boulderで感じてたのは、これこれ」

となるようになった。

これは本当にありがたい。

ぬんさんにそうやって助けてもらうことで、

僕のロルフィングが成り立っている。

そしたら、ぬんさんの紹介で、

六甲のJohnさんを知った。

この前の月曜に初めてレッスンに行ったけど、

この人もヨガと瞑想を同時に起こせる人。

そんで、ぬんさんとはまた違う層を扱える。

これまたありがたい。

Johnさんのヨガにも定期的に通うことにした。

まだまだ日本のヨガとか、瞑想事情は詳しくないけど、

ヨガもきちんと起こせて、瞑想もそうで、

さらにそれを同時発生させることができる人って、

そんなにいないと思う。

「日本人にジャズは理解できない」って、

黒人さんに言われたことがあったみたいだけど、

インドの人に、「日本人にはヨガは理解できない」

って思われてるかもしれない。

でも、そんな中でも、

本場で認められるような人が出てくることもあって、

それが、かなり珍しいことで、

しかも、そんな人が近くにいてくれるのは、

何回も言うけどありがたい。

そうやって、周りの支えがあって、

僕はロルフィングできてる。

僕のロルフィングは、

大きな循環の中の一つであって、

誰かとの楽しい会話からだったり、

ぬんさんとか、Johnさんのヨガや瞑想のおかげで、

できてる。

だったら、目の前のクライアントさんに、

一生懸命ロルフィングさせてもらうしかないわけなんです。

明日もがんばろう。




Yuta


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すごくよく知っているような気がして、あまりよく知らないこと。

2012.06.05 Tue
阪急六甲駅下がり

八幡神社東側

ハンバーガー屋の

向かいです。


カードには、

そんな文章と一粒の珈琲豆が

書かれていた。


阪急六甲駅のホームに降り立つと、

たくさん緑の木々が生い茂っているのが見える。

ジブリのトトロに出てきそうな感じだ。


そこが八幡神社。


ここ神戸では、

山が見えたら、右手側が東になるので、

僕は今、下っているから、

左手側が東になる。


少し歩いていくと、左手側に、

白壁に木枠の窓がかわいらしいお店が見えてきた。


確かにハンバーガー屋の前にある。


道路を渡って、店の前に立つと、

「六珈」と書かれた看板が、

地面に置いてあった。


ここだ。


ゆっくりとドアと開けてみると、

僕もfestaに置こうとしている、

ドアベルの音が、からからと鳴った。


床は木の板が敷き詰められていて、

やわらかい印象の床だ。


壁は白壁で、木のぬくもりを感じやすい。


カウンターには、一枚の大きな木の板で、

すごく広くて、ものを広げたくなる。


遠慮無く、そんなカウンターの木の上に、

MacBookやら、Moleskineやら、

読みたかった本を広げてみる。


それぞれが、ちゃんと一目で見れて、

安心した気持ちになる。


Boulderのカフェなら、それぐらいのものを広げても、

なおスペースがあるけど、

日本にはそんなに広げられる場所がなく、

肩身を狭くしなければいけない。


ちょっと歩いてきたから、

アイス珈琲を頼みたかったけど、

あえてブレンド珈琲のミディアムを頼む。


静かで、味のある店長さんが、

それぞれの道具たちを、

しかるべき場所に落ち着かせていく。


大きなカウンターの木の板の上に、

僕はカバンの中身を広げ、

少し向こうに、珈琲を淹れるための用意が広がっていく。


その時点では、どの道具がどんな仕事をして、

また、なぜその道具なのかは、

ちぐはぐだけど、

店長が珈琲を淹れ始めると、

それぞれが、必然のように意味をつなぎ始める。


煎った豆を二杯すくい、

それを機械に入れて、豆を挽く。


一粒も残さないように、

丁寧に丁寧に豆を挽く。


挽いた豆は、ホーローのカップに入れられて、

折られたペーパーの中へと移動した。


形のいいやかんから、注ぎやすそうなポットに

お湯が移し替えられ、店長がポジションに入った。


ポタポタと、絞り出されたかのようにお湯が、

珈琲豆に落ちていく。


少し蒸らしてから、さらにポタポタと。


下のプラスチックの容器に、

ポタポタと珈琲色の珈琲が

落ちていく。


ちょうど店長が落としているお湯の一滴一滴と、

ちょうど同じタイミングで、

下に珈琲が一滴一滴落ちていく。


お湯が珈琲に交換された。


豆がプクプクと膨らんできて、

少しずつ店長のお湯は、糸のようにつながって落ちていった。


豆の膨らみの表情が変わるのがおもしろい。


気づいたら、200と書かれたところから、

二目盛分下のところまで珈琲ができていて、

それをかわいらしいカップに注ぐ。


「砂糖とフレッシュはご利用ですか」


店長の声を初めて聞いた。


店長が声が小さいのか、

お湯がコーヒーへと交換されていくのに、

あまりに見入っていたせいなのか、

最初は何を聞かれているのかわからなかった。


目の前の珈琲を見つめると、

せっかくお願いしたはずの砂糖とフレッシュは、

そのまま横に置いておこうと思った。


珈琲を飲んでみる。


透明なんだけど、ちゃんとそれとわかるものがある。


ロルファーに似てるなと思って、

自分がロルファーであることを思い出す。


世の中には、なんと「透明」という色をつけた人が多いことか。


本当の透明は、向こうに色が見え、

それが揺らぐ。


思わず僕は文章が書きたくなって、

ずっと書かなければいけなかった文章書いた。


なんとも言えない文章が生まれてきて、

それにこの珈琲が完璧にマッチしている。


珈琲が文章に交換された。


二杯目もお願いする。


店長はまた、道具たちをしかるべき場所に落ち着かせ、

一連の物語をまた始めていた。


僕はそれを少しだけ見ながら、

生まれてくる文章を楽しんだ。


ある種の緊張感がある、その淹れ方でありながら、

でも、書き物をしても、後ろで邪魔にならない所作。


二つの違うはずのものが、一つの中にいる。


なんだか大切なことのような気がした。


それがなんなのかは、よくわからないけど、

六甲駅までの道を、空を見つめながら歩く。


あそこで交換されたのは、

何だったんだろう。


それはよくはわからない。




Yuta


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「雨にしか生まれてこない気持ちがある。」

2012.05.29 Tue
また雨が降ってきた。


今日の朝、

「暗くなって、シトシトと雨が降ってほしいな」

と思いながら、ももへの手紙を思い出していた。

なんとなく部屋の空気が重たかったから、

窓という窓を全て開けていたら、

ゴロゴロと遠くから雷の音が聞こえてきた。

「本当に雨が振るんだ」

そう思った。

気づいた頃には、部屋は暗くなって、

窓を閉めなければいけないほどに、

雨が強く降っていた。

そういえば、忙しい時間を過ごしていたと、

最近の出来事を振り返った。


「雨にしか生まれてこない気持ちがある。」


本当にいろんな人がfestaに遊びに来てくれた。

大学の先輩も、同期も来てくれた。

前は、いくら一生懸命トレーナーをしていても、

会ったら飲むしかなかった。

肝心の、自分の本当に好きなことを体験してもらうことはできない。

「勇太すごいね」なんて言われたりする。

けど実際、僕のトレーニングを受けてくれたわけじゃない。

先輩にロルフィングをした。

いろんな思いが、頭の中を巡っていた。

ようやく、自分の大切にしているロルフィングを受けてもらえた。

言葉とは少し違うコミュニケーションがはじまる。

からだはうそはつけないから、

いつもの会話とは少し違う。

先輩といろんなことを話をした。


A-Yogaの先生の邦子さんともいろいろ話す時間があった。

A-Yogaのイベントが立て続けにあったから、

最近の邦子さんの考えに触れることができた。

邦子さんといる時間は、考え事が多くなる。

今まで、なんとなくは浮かんできたけど、

意識としてはつかまえられなかったような、

小さな、静かなことがらたちが、

どんどん表れてくる。

邦子さんが話している時には、

僕はその空間から離れ、

違うことを考えていることが多い。

でも、自分一人でいたとしても、

考え事をしようと思っても、

考え事なんてなかなかできないわけだから、

僕にとっては貴重な時間だ。


HPを作るために、山形からデザイナーさんと、

カメラマンさんが来てくれた。

岡本の街をプラプラ歩きながら、

僕の好きな街の自慢をした。

デザイナーさんは、僕を知ろうとしてくれるから、

いろいろなことを聞いてくれる。

その問は、時に、

「ああ、自分とはこういう人間だったのか」

と、僕を鏡の前に立たせてくれた。

普段は、クライアントさんがどんな人か知りたくて、

僕がよく質問をする。

僕は、クライアンさんに鏡の前に立ってもらえてるのだろうか。


セッションの写真を撮ってもらった。

人に見せるためにセッションしないから、

それを意識しすぎて、全然波が見えなかった。

途中、「結局、デザイナーさんも、カメラマンさんも、

僕の周りの環境にすぎないから、それを含んでセッションしよう」

と思ってから、少し波が見つかった。

モデルさんも、からだに対しての気づきがあったみたいで、

少しほっとした。


僕は写真写りがよくない。

大体、素晴らしいアスリートは、

どんな動きの瞬間を切りだされても、

画になっている。

だから、かっこいいし、きれいだなと思う。

Numberのダルビッシュなんて、

すごいもんだと思う。

いい職人さんでも、料理家さんでも、

幸せな生活をされてるご夫婦なんかも、

写真写りは画になっている。

そう思うと、僕のロルフィングの先生たちも、

どんな瞬間を取り出したとしても、

そこに画として存在できていた。

だから、それに憧れた。

僕は写真写りがよくない。

まだまだいいロルフィングができていないんだと思う。

どれだけクライアントさんが、

「感動しました」

なんてセッション後に言ってもらえても、

僕がタグ付された、facebookの写真を見ると、

自分が情けなくなる。

せっかくロルフィングをさせてもらえる機会がもらえてるのだから、

少しぐらいはいいセッションができたらいいなと思う。

一日一日、一セッション一セッション、

丁寧に重ねていくしかない。


雨がまだ降っている。


「雨にしか生まれてこない気持ちがある。」




Yuta


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